"Guru"が存在するということ

ほとんどの業態でサラリーマンが最も嫌われるスタンスは、「自分の価値観に従う」ということだ。
あたり前だが、顧客の要求を聞き、分析し、時には推理し、プロフェッショナルとして成果を出すことが求められる。

そういう仕事は、論理的思考との相性もよく、いわゆる「優秀な人」に向くと思う。行動原理には、承認欲求、金銭的、物質的充足といった言葉が連想される。
ただしそこには、目標達成のためにハードワークはありえるが、魂を込めた「献身」は生まれ得ないと思う。 現実世界を直視していれば、「洗脳」は起こらないからだ。

信奉

俺はどうも比較的、何かを盲目的に信じてしまうことがあり、それが始まるとそこから抜け出すことが難しいタイプらしい。
始まりは内発的なものがほとんどなんだけど、いろんなピースがカチッとはまってしまうと、「それが全て」という感覚が生まれてくる。バランス感覚の優れたプロフェッショナルには到底なれない。

仮想現実の世界に入っていて、現実を直視できていないんだと思う。通常の行動原理(承認欲求、金銭的、物質的充足)がどこかに行き、その信奉への行動が人生で最も大切なことに思えてくる。自分で自分を洗脳する、というか。

マインド・コントロール

成功体験にとらわれたり、瞑想的な精神状態に支配されているんだと思う。目の前の現実が些細なことで、もっと大切なことは他にある、みたいな。

この状態は、強みになることもある。「献身」できるからだ。冷静な判断力は失われているので、狂気に結果を求めることができる。

Guru

人間なら、だれでもこんな傾向を持っていると思う。だから宗教が生まれる。

カリスマは巧みに周囲を、自分をそんな状態に持って行く。意味の書き換えを行い、無意識に入り込んで思考回路をいじってしまう。Jobsの現実歪曲フィールドなんてそうだ。

怖いところは、献身すればするほど、それは神秘的かつ絶対的なものになり、際限なく求めてしまうところだ。二元論的な価値観に近づく。オカルトになる。

(個人でも組織でも)論理的でいては100点は取れても、10000点は取れない。 Guruを持って瞑想状態に入ったチームや個人は、外の世界を遮断する。その価値観においてだけ強い結合が生まれ、ごくたまに神秘的な成果にたどり着く。

自分(達)の中にあるGuruが、時代にfitしていれば英雄になる。外れていればただの狂人になる。

エリザベス・ホームズという”Guru”の失敗は、具体的なテクノロジーを神に据えてしまったからだとしか思えない。もっと抽象的な、白黒つけないいわゆるartであれば、地球上の全員を「洗脳」できたんじゃないか。