制約のある時間

長時間労働が続いている。今も働いているくらいだから。 こんな日々がすでに一ヶ月近く続いていて、(特に最近は佳境)しかも自分の知りたい分野に被っていることもあり、たくさんの知識・経験が洪水のように流れている。

時間は相対的だと実感する

もちろん限度はあるが、たとえば、休憩時間が一日に30分しかないとき。そんなときは行き、帰りの歩いている時間に思考が羽ばたき、楽しい気持ちになれる。暇だったら、夕飯どうしようとか、そういうことに結局頭が奪われて、自由な時間って結局変わらなかったりする。

仕事もそうで、2時間でできることも、100時間あれば100時間普通にかける。

熱いストーブの上に1分間手をおいてご覧なさい。1時間ぐらいに感じられるでしょう。可愛い女の子と一緒に1時間座ってみなさい。1分ぐらいにしか感じられないでしょう。

という相対性理論の比喩があるけれど、それはまさにそうだ。

だとすれば、その凝縮した時間を如何にして生むのか、という議論になりがちだけど、executionはどうやったって時間がかかる。それを減らすためには、問題を明確にして、そこを自分、他人にとって明らかにすることで解決を積み重ねることができる。

要は、制約は課題を明確にして人に突きつける。だとすれば、制約が設けづらい本質的な事象も、課題を明確にして自分に突きつけることができれば先に進める。それを有耶無耶にしてはいけない。