知らないうちに上達する、はあまりない

外国にいれば英語が喋れるようになる?

あまりそれは期待できないな。ということを、外国で英語を使ってるうちに強く感じるようになった。 長期海外に来ることになり、英語を使わざるおえない環境で、あえてなんの準備もせず一週間過ごしてみたけど、新しい表現はほとんど身につかないし、或る日突然喋れるようになるわけもない。

インド人英語話者は人口の10%

インドで過ごせば、ほとんどは英語だ。テレビ、広告、新聞・・・。それでも、英語を喋れるのは1億3000万人で、全人口のうち10%にすぎない。日本では巷にあふれる、英語を浴びていれば良いなんて説は、嘘だと思う。

確かに、必要最低限の語彙は身に着く。でも、意思疎通ができるようになってしまうと、もうそこで止まる。

生きていければ良い

小さい子供なら「More」(もっと)さえ言えれば生きて行ける、という話もあるが、海外出張者も似たようなもので、周囲は一生懸命こっちの意図をくみ取ってくれるので、それに甘えてしまう。

人間も動物であり、それで成り立ってしまっているなら、もっと新しい世界に、とはならない。

言語ができないと短絡的になる

「More」と言えばお腹一杯ご飯を食べられる、それはそうなんだけど、何をどのくらい「More」なのかを話せれば、それだけでいくらか文化的な生活を出来るようになる。

言語というのは現実のアナロジーだから、言葉にした瞬間に現実は抽象的になる。 表現力が少なければ少ないほど、抽象化の粒度が荒くなるので、現実を突き詰めることができなくなる。だから、海外生活を長く続けているのにその国の言語ができないと、どんどん短絡的な人間になってしまう気がする。

それは避けたい。生きていけてしまえばそこで止まってしまう人の弱さは、なんとか回避したいと思っている。