なぜか持ってきた本

チューリングの大聖堂

基本はkindleで読むので、ほとんどの本は日本においてあるんだけど、これだけをなぜか持ってきた。出発前に古本屋か何かに行った時に買ったのかな?

チューリング・マシン

全ての計算可能な関数は、長さが有限のシーケンスによってコード化することが可能である。 -- Alan Mathison Turing

チューリングは、数学的な関心から、その思考用ツールして、チューリングマシンを定義している。機械による、今日的な用途をイメージしていた可能性もあるかもしれないが、それが本位ではないらしい。

チューリング・マシンに関する記述は、「計算可能数、ならびにその計算問題への応用」の中で、たった11ページで示される。

チューリング以前は、物事を行って、それを数で表すということしかなかった。この11ページが、関数をコードとしてデコードするというそれまでと逆のアプローチ(今ではソフトウェアと呼ばれる)を示した。それによって、現代世界のほとんどがつくられているのだから、不思議だ。

知能を持つ機械

チューリングがロンドン数学会において言及した知能を持つ機械についての定義が面白い。知能を持つ機械を定義するためには、「知能」を定義しないと行けないわけだけど、

もし機械に誤りが発生しないことを期待するなら、知能は発生し得ない。

としている。これは、チューリングが、直感的判断やひらめきで答えを試すことができることこそが、知性だと定義していることになると思う。

「価値」は底が抜けている

普段は、こういうときはこれみたいな、場所、行動、人が存在するけど、海外にいるとそれがまったく空白になる瞬間がある。

それは、相対性が、海外だとずれることにもよるところがあると思うんだけど。良かれと思って言ったことが、全然伝わらなかったり。

そうすると、「当たり前」が崩壊していく。「これをやったらおもしろい」、とか「これをやっとけば後で有意義」とかの前に「なんでやるんだっけ」みたいな。相対的にみれば価値はあるんだけど、それ個別自体を疑ってみると、よくわからなくなる。そうすると、なんとも言えず不安定だ。