「計画」と「予測」の見極め

ただの文化の違いなのか

インド人とチームを組んで仕事をすることが増えている。 仕事への取組み方の違いで特にピックアップされるのは、行動に移すまでの準備の仕方の違いだ。 日本人は、開始する前に細部まで理解し計画しないと、アクションは始めない。

一方、インド人は一般的に、よく分かっていなくてもとりあえず「わかった」と言ってアクションを始める。そして、途中で聞いてくる。そんなことがある度に、日本人はインド側への不信感を強める。

しっかり時間をかけて準備するのが偉い?

しっかりと計画を立てないと、「ああ、やっぱりちゃんと全部を理解して見通しをたてていなかったんだ。もっとしっかり考えろよ」という空気が流れる。そして、文化の違いセミナーでは、よく教育されたインド人はそんなことはないと説明される。

計画は、説得力がありすぎる

大きなもので言えば事業計画、小さいものでいえばチームの運用計画まで、そういうものは妙に説得力がある。データや結果に基づいているし、労力、時間を多分に注いで作成されているからだろう。

しかし、そんなものが正確にこなされたものは見たことがないし、目標を達成するころにはその目標の前提条件そのものが揺らいでいることがほとんどだ。

コントロールできない範囲は「予測」だと知る

今の延長で考えていても、漸進的な変化しか計画できないし、環境の変化によって大抵は計画自体なかったことになる。事業計画も、チーム構築計画も変化が早すぎる現代においては、ただの「予測」にすぎないと思う(予測さえされていればいいほうだ。ただの現状からの分析に留まっていることも多い)。 なにより、この「予測」にあまりにエネルギーを使いすぎて、いざ動き出してからの方針転換はいい加減になっていることにも問題がある。

やりながらもっと考える

インド人が正しいわけでも、日本人が正しいわけでもない。ただ、環境(技術、人、倫理観)が変化しやすい現代においては、「計画」を出来る範囲は確実に狭まり、ボルテールの言う「良き行いを妨げるのは完璧主義である」という傾向は、強まっている。

完璧主義や細かい計画は、妙に説得力があるので力を持ちやすいが、それを封じ込め、「やりながら手直しする」という姿勢を追求しなければいけない。